ラリードライバーでインターネットでも大人気のケン・ブロック。アウディスポーツの本拠地であるドイツのノイブルク アン デア ドナウでAudi RS e-tron GTに試乗し、電動モビリティのこれからや、彼とアウディとの協同によって生まれた驚異的なAudi S1 e-tron quattro Hoonitronについて話を聞いた。
アメリカのドリフトアーティスト、ケン・ブロックにとって、
The Audi S1 e-tron quattro Hoonitronはただの車ではありません。
それはあの伝説のAudi Sport quattro S1のオマージュであり、真のチームワークの象徴とも言えます。
様々な分野のエキスパートが生み出したこの車の物語に迫ります。
The Audi S1 e-tron quattro Hoonitronはプロのドライバーによって専用のサーキットでのみ運転できる車両です。市販モデルではありません。
※本サイトに掲載している写真は欧州仕様です。日本仕様とは異なります。
Audi S1 e-tron quattro Hoonitronの後部のウィングはあの歴史的インスピレーションとなったAudi Sport quattro S1を彷彿とさせる。ケン・ブロックがこの車でeモビリティの可能性を証明する。
Audi S1 e-tron quattro Hoonitronの後部のウィングはあの歴史的インスピレーションとなったAudi Sport quattro S1を彷彿とさせる。ケン・ブロックがこの車でeモビリティの可能性を証明する。
ネッカーズルム工場のオフィスで記者を出迎えてくれたステファン・ムアワイス。「Hoonitronのプロジェクトがどうはじまったかと言うと…」とアウディに20年間務める彼はゆっくり語り始めました。「ケン・ブロックのための車が必要だと言われたのです。ドリフトのできる電気自動車を数か月で用意してほしいとね。実現可能かどうか聞かれたあとに、もう一つの条件が追加されました。あの1980年代の伝説ともいえるAudi Sport quattro S1の蘇りとなる車にしてほしいという条件です。」
ステファン・ムアワイスに与えられた使命は、ドリフトの無冠の帝王であるケン・ブロックのためにラリーの伝説やクワトロの栄光を彷彿とさせるマシン、The Audi S1 e-tron quattro Hoonitronを造ることでした。「ケン・ブロックのことは彼のドリフト動画を見て知っていましたが、その依頼を受けるまでドリフトに使う車をどう設計すればいいのか考えたこともありませんでした。」ムアワイスはそれまで、主にAudi Sportモデルの開発に携わっていました。電気自動車であることとスポーツクワトロを意識した車にするという条件をもとに、大まかなプロポーションと四輪駆動にすることがまず決まりました。2021年の3月、そのようにしてプロジェクトがはじまり、チームが集まりました。
ステファン・ムアワイス
バスティアン・ローゼナウアー(左)はステファン・ムアワイス(右)のもとでAudi Sportの開発を担当している。両者はこれまでの経験やネットワークを活かしてAudi S1 Hoonitronの開発に貢献した。
バスティアン・ローゼナウアー(左)はステファン・ムアワイス(右)のもとでAudi Sportの開発を担当している。両者はこれまでの経験やネットワークを活かしてAudi S1 Hoonitronの開発に貢献した。
AUDI AGの様々な部門からメンバーを集めて構成されたチームの一員にバスティアン・ローゼナウアーがいました。41歳の彼はステファン・ムアワイスが率いるAudi Sportのチームでモデルのコンセプト開発を担当していました。「このプロジェクトの話が来たとき、まさに自分にぴったりのプロジェクトだと思いました。」とローゼナウアーが当時を振り返ります。
「それまで8年間は、ハイパフォーマンスのプロジェクトにシェル構造を導入してきました。また、カスタマーレースではプロトタイプの手配をしたり、車両のテストに携わったり、レースに同行したりしていました。」彼の経験とネットワークの広さがHoonitronプロジェクトで即戦力となったのです。「最終的に企画開発から実車の導入まで、すべてに関わることができ、貴重な体験ができたと思います。」と、開発期間と製造期間のほとんどの時間を自身のオフィスの下にあるワークショップで過ごしたというローゼナウアー。実際、パンデミックの影響で車の大半はチームメンバーのリビングや書斎、そしてキッチンで開発されたと語ります。「毎週ビデオ会議を行ってデジタルな机上で議論をしていました。」とムアワイスは振り返ります。「少人数で深く議論し、効率良く進められました。」
バスティアン・ローゼナウアー
プロジェクトは効率的に進める必要がありました。プロジェクトが始動してからわずか8か月未満の2021年11月には車が必要だったのです。「そんな短期間ですべてを新しく開発するなんて明らかに無理でした。」とローゼナウアーが語ります。そこで、既存のシャシーをベースとして活用し、時間を短縮させることに成功しました。また、ホイールベースやプロポーションのスペックも非常に厳しいものでした。
「エクステリアのデザインや、既存のシャシーやバッテリーの条件に合うように、そしてケン・ブロックのアイデアを満たすためには新しいシェルを設計するのが一番だという結論に至りました。」とローゼナウアーは続けます。「我々は可能な限り、すでにテスト済みの技術を新しい環境に応用したいと思っていました。」と。チームは余計な要素の無い確固たる機能的な車を設計したかったのです。彼らの使命はイベントに展示するための車を造ることではなく、電動技術の極限を見せるためのプロトタイプを造ることでした。設計のプロセスに与えられた時間はわずか10週間でした。「残りの時間で部品を調達し、車両を組んでテストを実施しなくてはなりませんでした。」とムアワイスがスケジュールを説明しました。
ザシャ・ハイデ
ザシャ・ハイデ(奥)のデザイン案によりAudi S1 Hoonitronの輪郭が定まった。伝説のラリーカーAudi Sport quattro S1はドリフトプロトタイプの名前の由来となっただけでなく、ハイデやチームメンバーのモデルでもあった。車体の輪郭やラインで過去と未来を結びつける表現することが彼らの目標だった。
ザシャ・ハイデ(奥)のデザイン案によりAudi S1 Hoonitronの輪郭が定まった。伝説のラリーカーAudi Sport quattro S1はドリフトプロトタイプの名前の由来となっただけでなく、ハイデやチームメンバーのモデルでもあった。車体の輪郭やラインで過去と未来を結びつける表現することが彼らの目標だった。
AUDI AGのエクステリアデザイナー、ザシャ・ハイデはデザインを進める上でキーパーソンでした。44歳の彼は語ります。「プロジェクトを知ったときの最初のリアクションはとにかく大興奮でした。」それまでにも別のチームが様々な案を出し、アウディのチーフデザイナーであるマーク・リヒテに提案していたと言います。
「マーク・リヒテは具体的な方向性を指示していました。それは伝説のAudi Sport quattro S1を再設計することではなく、その魂を捉えるということでした。」とハイデが振り返ります。キーワードは『レトロフューチャー』。最終的に方向性を定めたのはハイデのデザインです。ムアワイスやローゼナウアーとの議論の末、彼が意識したのは低い車高でした。「車高の低さが未来感を出しているのです。」とハイデが説明します。
「プロポーションはAudi Sport quattro S1に似ています。横に広がったホイールアーチや、いわゆるクワトロブリスター、そしてフロントとリヤのスポイラーはHoonitronにも装備しました。しかしそのすべてを幅広く平らにしたのです。UFOのような見た目を再現しようとしていました。」Audi S1 Hoonitronのエクステリアデザインはわずか4週間で承認されたと言います。「もちろん、もっと時間が欲しかったですが、デザイナーとしてできるだけ新鮮なスタイルに仕上がるよう意識しました。しかし、今回のプロジェクトは見た目の勝負ではなく、極限を追求したデザインです。」もし見た目を重視するのであれば、さらに平らで大きなホイールのデザインにしただろうと、ハイデはにやけながら話しました。
マルコ・ドス・サントス
ケン・ブロックはAudi S1 Hoonitronの開発においてホイールの寸法やサスペンションの設定などに具体的なアイデアを提供した。開発中、彼とAUDI AGチームは定期的な議論を重ねていた。
ケン・ブロックはAudi S1 Hoonitronの開発においてホイールの寸法やサスペンションの設定などに具体的なアイデアを提供した。開発中、彼とAUDI AGチームは定期的な議論を重ねていた。
Hoonitron は18インチのホイールを例にとっても、他のコンセプトカーに比べて比較的コンパクトなサイズに仕上がっています。その理由はケン・ブロック自らが提示した条件にありました。しかし、一見それほど小さく見えないのはマルコ・ドス・サントスのおかげです。「ホイールを大きく見せたくてリムを赤いリングでカバーしてみたら、最高の効果が表れました。」マルコ・ドス・サントスはこれまでにもアウディでいくつかのプロジェクトに携わった経験を持っています。アウディのデザインブランディングチームの一員として、34歳の彼は車両のラップのデザインを担当してきました。「我々は商品の視覚的言語を開発するとともに、コミュニケーションのグラフィックブラケットも成型しています。」ドス・サントスは当初、ハイデからこのプロジェクトに誘われたとき難色を示していたといいます。
「興味深いプロジェクトだとは思いましたが、正直言って非現実的だと思っていました。」その後、彼とハイデは今回のプロジェクトにおけるデザインの重要性や、過去と未来の融合について深く語り合いました。「どのデザイン要素が車のアイデンティティを確立させるのかを決めて、Audi e-tronらしいコミュニケーションの手法を模索しました。」特徴的なネオンレッドのフロントとリヤのスポイラーはダカールラリーカーや新しく開発されたF1プロトタイプでも見られるようにAudi e-tronのDNAに直結しています。「狙っている効果を達成する方法は、通常、複数存在します。その中でも車の重要な要素を隠すことなく、視覚効果を最大に引き出す方法を考える必要があるのです。」しかしHoonitronの場合はややアグレッシブで主張の強いデザインが求められていたといいます。「このようにリヤのスポイラーとフロントのスポイラーをサイドシルで繋げました。これによって車を前から見たときも後ろから見たときも、車全体から放たれるパワーが感じられます。」
様々な分野のエキスパートが情熱をかけて記録的な速さで開発に成功したAudi S1 e-tron quattro Hoonitronはまさに完璧な車だと言えるでしょう。それはネッカーズルムとインゴルシュタットの双方の拠点が認めています。ステファン・ムアワイスはケン・ブロックの影武者も務めたといいます。「彼と私は身長が同じなんです。彼の体型に合わせてスイッチやレバーやペダルを設定しなくてはなりませんでしたが、彼が来られないときは私が代わりになりました。だからこの車を運転できる人間はふたりいるんですよ。」ムアワイスはおどけてみせた。「ケン・ブロックと私です。」